ハロウィンで3才になる次女めいちゃん、
来月から長女と同じ幼稚園に行く予定です💓
長女を園に送る時にいつも帰りしぶり、
フェンスにしがみついて
「めいさちゃんも遊びたい」
と言うておりまして、
満を持しての幼稚園です。
だいたい9時20分くらいまでは園庭で自由遊びをしているこどもたち。
親がいない空間でめいちゃんはどうやって遊ぶのかな?
そんな姿を想像するのもなんだか楽しみです。
慣れ親しんでいる、田舎にある小さな幼稚園。
次女は幼稚園に通っていなくても、
園の子どもたちは名前を覚えてくれていて、
こぞって近づいてきてくれて優しく話しかけてくれたり、
かわいいと手をにぎったり、
「幼稚園来ないの」
と聞いてくれる。
なんて純粋で優しいかわいい子どもたちなんだろうと思ってしまって、
なんだか毎朝、
そのやりとりにすごく元気をもらっています。
(そうでない子が純粋じゃないとか優しくないとかそういうことじゃない)
先生方も長女とともに、
ずっとずっと前から、名前を呼んだり手を振ってくれる。
今日なんかは、
ちょうどめいちゃんと同じ学年になる予定の子たちが園外を散歩している列に遭遇すると、
「めいさちゃん!」
「みきなちゃんの妹だよ!」
「みきなちゃんのおかあさ〜ん👋」
↑実は、自分にも声かけてもらえて嬉しんでおりますw
「めいさちゃん、もうすぐだね!
待っているね!」
と言ってくれて。
深い意味はないかもだけど、
"待ってるね"
その言葉がすごく嬉しくて。
バスの運転手のおじいちゃんも頭をなでて
「いつから来るのかな?
楽しみだねぇ。
待ってるよー」
念入りにバスの細部まで洗う運転手さんをじっと見つめるめいちゃんに、
「こうやって洗っているよ。綺麗にしとかないとねぇ」
そうやって優しくほほえむ目に何の偽りも陰りもなくて。
だから、何の不安もなく送り出すことができて、
そんな居場所を持たせてもらえていることに感謝🙏だなぁって、
思っています。
引っ越したので、
今の幼稚園は遠くなること、
来年はもう長女は小学生になり、めいちゃんだけが幼稚園になるので、
今の家の近くに幼稚園はあるし、
わざわざ遠くに通うのもどうか、
と実は悩んでいます。
もう11月から来年度の願書受付が始まるので、
園庭開放にいったり、
説明会にいったり、
友達に情報を求めたり。
何度か行かせてもらって自分の価値観的にとても魅力的だと思っているオルタナティブスクールは、認可外保育になり一号認定は無償化の対象外になるので、
現実は難しいかな、
とがっくりしてみたり。
でもそうやって、がっくりしている時に
今の幼稚園の先生方の顔を思い浮かべて、
なんだか胸が痛くなる自分がいました。笑
長女が仲間に入れてもらってからまだ1年半だけど、
いろんなやりとりをしていく中で、
もう愛着が、あるんですよね。
食事や普段の園生活は、
他の園と変わりないというか、
むしろ引っ越した今では、ただ遠い幼稚園だし、
食事なんかは、
ナチュラルなものを意識している自分としては気になるのだけど、
作っている先生の顔も知っているし愛情いっぱいに作ってくださっているのも知っているから、
"無添加"だとかそういうことだけが大切なのかといえば、それだけじゃない、
と思っている自分がいます。
長女がもじもじだった分、
長女が楽しめるようたくさん寄り添っていただいて、
今すごく生き生きと楽しく過ごさせてもらえているから、
なんだか心が信頼しているんだと思います。
ステージが変わり、
この園でなく違う場所にも居場所を持つ時(=他の園を自ら選択する時)、
寂しさは募るけれど、
寄り添ってもらったこと、
待っているよ、とこの上ないあたたかな言葉をかけてもらったこと。
それらをもらった時のこの気持ちはなかったことにはならないから、
とらわれないで、ポジティブに。
大切にしたいものとワクワクする心に向き合っていこう。
いいなと思う選択肢が多い分、
どんな形になっても、
いろいろ思うところはあるかもしれないけど、
なんだかなぁ、と足りないところに目をむけて過ごしたくはない。
自分が大事だと思っているものを大切にするのに、
その方法しかないのか、
他にも方法があるのか、
頭をやわらかくして考えていきたいな。
結果として選択したことの良い面をたくさん頭に描きながら、歩んでいこう!
今そんなことを思っています。