まとまりのないひとりごと。
何をどうしたら良いのかよくわからないぐらいメンタルがボロボロ。笑
畑にいって野菜を収穫する瞬間が楽しみな日々。
こうやって文章にすると、
君の立場は主婦だから、ご飯作って子供の相手することに向きあいなさい、
と冷静にもなれるのだけど、
なんだかうまくそれができないでいる。
これはほぼ虐待?ネグレクト?というレベルじゃないのかというくらい、エネルギーがない。
夫とあまりうまくいけてない。
私が働いていないことや、
専業主婦なのに家事育児が中途半端なのことなどに、
不安だとか苛立ちとかもらもやが出てる気がすると、
私自身は(勝手に)感じている。
今日は何やってたの?
何でこんなにご飯が遅いの?
え?お風呂まだ入れてない?
金がどんどんなくなる。
あー自分の人生って何だろう。
日記じゃなくて日誌つけなさい。
今日の携帯の画面視聴時間見せて?
子供たちと一緒に過ごしたいからって専業主婦になりたいといったのは自分でしょ?
あなたの仕事は専業主婦じゃないの?
全うしろよ。
しぃとなお(夫の義妹と、妹)は、赤ちゃんがいても働いてるよ。
そんな悪気ない夫の一言が、
自分ができてないことを責めている気が、勝手にしている。
身近な専業主婦だった友達たちが、起業してプチ稼ぎしたり、
『夫の会社で事務しはじめた』〜
とか言って、
働いてないの私だけじゃん、、といきなりなったりする。
『士』があるっていいなぁって、人を羨んだ目でみている。
そんな人ばかりじゃあるまいのにね。
そのくせに、別の近所のママ友の子供の虫歯だらけの歯を見たり、コンビニでお菓子爆買いの袋を見たりして、
あんな育児はしたくない、
と蔑んだ目で見たりしている私がいる。
そんな表面的なものばかりを見て、
何と私は愚かな人間かと思えてくる。
朝は起きれない。
朝日とともに5時半くらいにふと目覚めても洗濯まわしたり、掃除したりしていたらもう夫のアラームがなるし、
もう授乳の時間なのかと愛しのbabyちゃんが私を呼ぶし、
それからぞろぞろkidsが起きてきてお腹すいた、とアピールして、朝ごはんを出すけど、
食べたり、食べなかったり。
夜はこどもたちと寝落ちしてしまう。
なかなか夫とゆっくり話すことができていない。
たまに、寝落ちしなければ、夫はイチャコラしたがるけど、私はそういう気分になれなくて、
今不安に思ってること、
今日あったこと、
今後のことで話したいこと、
たくさんあるのに、
と思ってしまう。
それを夫は、自分を無碍にしてると言う。
ここに書いて俯瞰しても、
書かなかったとしても、
自分がうまくやれてないことが原因なのはよくわかっている。
自分の我を通したいただの我がままなのだとも思っている。
夫は一人で私と子供三人をかかえて働いてくれていて感謝しかないし、
協力的だし頑張ってくれているし、私の1番の理解者なのに、彼を幸せにできなくて、申し訳ないとも思っている。
そして、なかなかもやもやは何なのか、原因は、対策は、
と頭だったり手帳だったり向き合ってする時間もエネルギーを持てないでいる。
お金のことを言われるから、一時保育に預けたりするのはまたストレスがかかる。
9月新学期が始まったら、
次女と三女だけになるからちょっとは落ちつくか、頑張ろうと思いながら、きづくと夏休みは結局あと数日だ。
子供たちのために笑顔な母親でいたいのに、たぶん彼女たちの目にうつるのは、
いつも機嫌が悪くてイライラしている話もきいてくれない受け止めてくれないお母さんだろうな。
先日は長女の小学校入学の件で市と相談の日だった。
幼稚園から「入学にあたり気になることがあるので」
と呼ばれた時に渡された書類は、特別支援学級などの相談についてのことで、
夫と話した結果、深く考えることなく相談してみたら良いということになり、
専門の人が幼稚園に娘に言動などを見に行った結果の、
話。
結果としては、
『選択性緘黙(かんもく)』の気ということで、
状況としては、
リラックスできない場だと言動が極度に緊張する、
幼稚園では先生が付き添ってくれたり促してくれなければ自主的に動くことが少し難しい、という感じ。
病院等で診断を特にうけていなければ特別支援学級ではなく、
方法としては普通学級に入れて通所学級に放課後通うとか、、みたいな話だった。
担任の先生と保護者の密なやりとりが大事。
心がつぶれる前に子供がsosを出せる環境を。
という話。
そこでまた引っ越しの学区をどうしようか問題でもやもやしている。
今の慣れた環境のままがいいか?
面談の時に次女と一緒に預けていた一時保育に、迎えに行ったら、
長女だけ早く帰りたいと疲労困憊していた。
やっぱり、新しい環境は疲れるか。
いやはやそれは一般的なことなのか、
はたまた彼女にとっては人より負担が大きいかもしれない。
でも新しい環境で何か過ごしやすくなるような変化もあるかもしれないという少しばかりの光もある。
学校に無理にいかなくても全然よい。
まぁ、正直いうなら、
自然と馴染んで楽しんでくれたらそれが一番親としてはホッとするかもしれないけど。
何にせよ、
娘に家族(私)という安心できる居場所があれば、大丈夫な気がする。
でもそんな"私"に今、余裕がないでいる。
実母には、なんやかんやと相談しづらい。
つわりの時に実家にいた私は、皿を洗わないでいたら、車に私の荷物を詰め込まれて出て行けと言われた記憶をまだひきづってるし😂
復職してワーママしていた時に、さすがに4日も休みずらくて母に看病をお願いしたら、あなたが母親でしょうと言われた記憶もひきづってるし🤣
何より、
長女のことを、
思いやりがない、
ごめんなさいと言えない、
人と分けることができない、
あんなことしたのよ、
こんなことしたのよ、
目がサイコメトラーみたい、
次女には、性格が自分とはあわないかも、
などなど、、
彼女の今後を思ってなのかもしれないが正直うるさすぎて、
なんだか相談したい気にならない。
夫とついに大喧嘩となってしまった。
娘たちがいる前で。
繊細な長女は、ひきつけみたいになりながら大泣きした。
こういうことに一番なりたくなかった。
子供にとって、そういうのが一番ダメなんだ。
そうわかってる。
だから、また余計に苦しくなった。
自分のすることに後悔しかない。
義母に相談した。
そんなもんだよ。
大丈夫。
とそれに続く、長くたっぷり愛に満ちた言葉。
それは表面的なものではなくて、いつも安心する。
強くなれよ。私。
愛する子供たちのために。
いや、深刻になるな。
欠如に目を向けるな。
ある豊かさに目を向けるんだ。
たぶん、私はできない自分でいたくない。
理想の親になりたくて、もがいている。
ほんとうに理想の親になることが必要なのか?
はて、自分の理想にばかり焦点があたってはいなかったか。
さぁ!
今日がはじまるよ!!
切り替えていきたい!