日々の嬉しいこと探し

5歳2歳0歳の3姉妹子育て日記

いちばん大切なものがなにかを見失わなければ


昨日、母から長文LINEで怒られる。


内容はこの最中、先週映画に行ったこと。


前回のブログにも少し書いたのだが、
映画にいった日に、旦那氏、突発的でトイレにも間に合わないほどの嘔吐下痢を繰り返し高熱で苦しむ事件がありまして😅
私は苦しい苦しいといいながら蒼白する旦那さんを横目にどうしたらいいかわからず、深夜救急車を呼んだ、という事件があり。


それも加わったので、母にはじりじりと意見をもらいました。


『正月に、みやざきには帰らずとも、佐賀の親族に顔でも見せる予定なら、映画など不特定多数の人がいるところに行くべきではない。

あなたは好奇心旺盛で、ひとにあってエネルギーを得るタイプだから、気持ちはわかる。

でも、持病がある家族、高齢の家族があるなら、この時期に、不注意過ぎる行動なのでは?

こんな田舎でさえ感染者が出ているんだよ。』



という内容。


今、すごく理解している。


最近は、自分のフットワークが軽くなっていた。


対策はもちろんする。
自分の免疫をあげれるように、体調に気を使う。
それでいて、楽しくすごすために、時折羽を伸ばして自分がワクワクし心地よくいたい、と思っていたのは事実。

メディアはあおりすぎ、などというどこかで聞いた言葉も頭の隅にあった。



当初10ヵ月前だろうか、コロナが流行って一番懸念したことは、自分のことではなく、


糖尿をかかえている弟、あまり心臓強くない高齢の祖母のこと。
旦那さんの会社に迷惑をかけること。


弟と祖母は佐賀に住んでいるのだが、
福岡でコロナ患者が流行るたびに、
佐賀⇆博多の毎朝の満員電車を思い出して、
佐賀に持ってこないで。と祈っていた。


そうやって、祈っていたはずなのなに、
時は過ぎ、だんだん自分がゆるくなっていたことにきづく。



あなた、本当に思いやりがなく浅はかね、自分のことばかり、そんなこともわからない?

というようなレッテルをはられたかのごとくグサリと傷つき、
そんなこと最初はわたしが一番心配していたさ!言われなくても、わかってるさ!と、自分を擁護したいがためか、幼稚で陳腐な自分の心が見え隠れする。


半日くらいたち、冷静になる。


母の言ったことは、もっとも。


それを私が他人におしつけることはできないけれど、
少なくとも私自身は自粛すべきだ。


そして、今からできることは、
少なくとも、あの映画の日から一定期間おいてから佐賀に顔を出すこと。



そんなことを思っていると、昨日の西日本新聞の一面は、
『年の瀬、救急病院が例年通り発熱者殺到なら限界。行動自重が命救う』

発熱患者はコロナ感染の可能性もあるため、そういった患者がくるたぶに、防護服、消毒、そのあとの処理等々、ものすごく手間がかかるため、
脳梗塞心筋梗塞のような1秒を争う患者からの要請があった場合、命が救えるかどうかに影響してくる、


という内容が書いてあった。


10年前、おばあちゃんが心臓の病気で搬送されたあと、あと5分遅かったらね、とお医者さんに言われたこともあったこと、思い出した。



そして先日、実際、わたしが救急車を呼んだ時も、心拍や血圧等々を確認したあと、
搬送先の病院を探してくださいましたが、発熱しているということで、4件ことわられ。

5件目で、受け入れてもらったときにも、出発する際に、

・このコロナ禍で入院のためのベッドはないこと
・診察して点滴して様子を見たあと、おそらくまた帰宅になる
・夜間の救急外来は感染リスクがある
・数時間後には、ちいさなこどもたちつれて、またタクシーで帰宅することになる


それでも、大丈夫ですか?
ときかれました。


冷静になった今ならば、家で様子みます、というかもしれませんが、
深夜とりわけ、大パニックの私は、
病院にいったら旦那さんが楽になれて、わたしも安心できる、この嘔吐物だらけの部屋の中で、また旦那さんが苦しみだしたら、まず、なにをどうしたら。
という懸念の中で、連れて行ってくださいとしか、選択肢しか思いつかなったのです。


しかも、当日朝に、旦那さんと大喧嘩をしていたわたし。
自分のせいで、という思いが強くあり、メンタルを保てなかった😅



以前、悩める私に、



"自分がいちばん大切なものを見失わなければいいと思う"


と、ブログのコメントに残してくださった方がいて、深い感銘をうけたのだが、なにか迷ったりするたびに、その言葉を思い出します。


やりたいことはたくさんある。
やりたくないこともたくさんある。
他人のいろんな価値観、正義、批判いろいろが自分をとりまくこともある。


人間だから、揺さぶられることも、自分の快感を求めることも、堕落することもある。


でも、そんなときに、手をさしのべて意見してくれる人。
背中をおしてくれる人。
たちどまらせてくれる人。
そうやって、気づかせてくれる人。



大切に思う。



最終的には自分で感じ、考え、決めることだけれど、


自分にとっていちばん大切なもの、忘れていないか?
差し伸べてくれる手を待っている人に自分ができることはないか?



時々たちどまり、目と耳と心を研ぎ澄まして、見つめたいものです。