Akina's日々の嬉しいこと探し

6.3.1才の3姉妹との日々と自然農の家庭菜園など♪

食と病気と愛情と。


食育講演会から数日。
今朝方、昔のことを思い出しました。


うちの弟には、病気がある。


1型糖尿と、てんかん、言葉の発達。


何度も入院してるし、1週間昏睡状態、発作は夜中、目の前で二度も見た。


1型は、生活習慣ではないと言われるけど、
私は、食卓について、"今でこそ"だが、彼の病気が生活習慣が関係ないとは到底思うことができない違和感がある。



弟の小さなころの写真は丸ぶとりな写真が多い。


体格がよかったからなのか、相撲部に入っていたり、柔道は小学校から高校までしていた。


で、運動後にちょっと、ということならわかるのだけど、弟は、溺れるほど、日常的にポ◯リを飲んでた。


家にも常に大量のポ◯リがあった。


私は中高と陸上をしていたのもあって(それもちょうスパルタの、チームが全国1位になっちゃうくらいの)、
なんとなく、それ、飲み過ぎじゃないか?と思っていて、家族に言ったのである。


そしたら、たかぴー(弟)が飲むから買ってるんだと。


たかぴーに飲みすぎだよ。と言ったら、
おばあちゃんが買ってるから飲むと。


あと、朝からお弁当のおかずにいれるために"大量に"揚がった唐揚げ。


子供だから、やっぱりおいしそうで食べちゃうよね。💧


卵焼きは、いい。
でも、味あるのに、なぜか、無駄に醤油をかけて、それでごはんをガツガツ頂くのが、常だった。


ダイニングには、大量のポテチがあった。


冷凍庫には、大量の市販の餃子があった。


私自身も、学校から帰ってきて、お腹が空いたら、晩ご飯の前に、少しの餃子を自分でチンして、大量の白ごはんで食べてた。


ごはん前にポテチ食べるのも茶飯事。


でも誰も、それおかしいんじゃない?って言ってくれる人はいなかった。


うちは母子家庭だったし、持ち家でローンがあり(数年前やっと返済終!!)、私も自分のうちが貧乏だとか知らなくて大学行きたいと張り切って勉強していたのもあって、


母は、昼間の正社員と、夜のアルバイトをかけもちしていて、
おばあちゃんがお母さんがわり。


だから、と言ったらおかしいかもしれないけど、


おかあさんにごはんをつくってもらった記憶は、ない。


唯一覚えてるのは、一緒にグラタンをつくったこと。


(先日、母に、それを言ったら、
「えぇ〜!そんなことないよぉ〜、つくってたよぉー」とは言ってた🤣)


魚を食べた覚えは、ない。




あれ、もしかして、みなさん泣いてますか?w


もしくは、ひいてる?w



で、そんな環境は、自分が家を出てみて初めて普通じゃないと気づく。


大学は実家から遠かったので、
母が心配だからと寮に入ることを勧めてくれて、私も他の学科に友達ができるのは嬉しい!と、大学の指定寮に入ることに決めた。


そこで毎朝、毎晩ごはんを作ってくれるおばちゃんと出会う。(通称、おばっち)
当時70代後半くらいかな?


晩ご飯や門限も時間が決められていて、晩ご飯の時間に間にあわないときは、朝お弁当箱をだしとけば、その中につめてくれていた。


指定寮は、予算とかバランスとかの統一するためか、大学側からメニューが決められていて、
私は定期的に出される、ししゃもがどうしても食べれなかった。
(子供を産んでやっと食べれるようになった💧)

顔がついてて、クチがぱかっとあいてるかんじが、ちょっと苦手なんだという話をしたら、


で、おばっちは、ししゃもの時は、
「ちゃんと魚食べり!」
と私だけ、顔がない魚を焼いてくれていて
、お皿に私用だとわかるように名前を書いてくれていた。


おばっちは一緒にお風呂もはいって、恋の話もする。


腰がまがってわたしより小さなおばっちだけど、大濠花火大会の時は着付けもしてくれた。


おばっちは、私が大学を卒業する年に、
歩くことがままならなくなって、
入院して、娘さんのご飯にかわった。


私にとって、おばっちは、愛情のある食卓を教えてくれた第三のお母さん。


そして、実家の食卓はなんかちょっと、良くないぞ、と知るわけです。


で、実家に帰って、
おばあちゃんに言います。


朝から唐揚げはおかしくない?


たかぴー、揚げ物ばっかり食べさせすぎじゃない?


たかぴーにもいいます。


体こわすよ。
おばあちゃんがつくらないなら、自分で簡単なものつくればいいじゃん。


そしたら、おばあちゃんにキレられます。


「たかぴーは、男の子やけんいいと!働いとるけん、食べさせないかんとー!あんたとは違うと!
出て行け!帰ってくるな!顔もみたくない!」



そして、時はすぎ、てんちか(天神地下街)を歩いてたら、母が泣きながら電話してきた。


「たかぴー糖尿病って。」


弟は、ちょっとエッチなサイトに携帯をつぎこみw
莫大な携帯代のため(2回目)、夜も働くことになった。


そしてそれにより、不規則な生活、以前からの乱れた食生活。
その代償は大きく、なかなか薬もうまくいかず、発作後、昏睡状態となった。


それから、いろいろ思う。



小さな頃の食卓が、それしか知らなければ、それが当たり前の環境となる。


体に負荷をかけすぎた食事の代償は、後から来る。


乱れた生活で、体が回復できず、それを後押しする。


おばあちゃんは、おばあちゃんで、小さな頃、お菓子をおいていた理由は、こういうことだったらしい。


「たかぴーは、言葉が人よりでらず友達が少ない。
だから、ゲームを買い、お菓子をおき、みんなが集まってくれる場所に」


そして、それに関して、当時のわたしの元カレがわたしに教えてくれたことがあった。


彼のいとこが、たかぴーの友達で、うちによくきていたらしい。


そのことを彼はこういった。
「たかぴーのうちって、お菓子がいっぱいあるから遊びにいってたって、かっちゃんが言ってたよ」


私は、たかぴーにあいにきてたんじゃなくて、お菓子がほしかったんだね、ととっても、つらかった。


それが事実だとしても、
よくそれを姉の私に言えたな。


結婚の約束をしていて両親にも紹介、友人としては11年、おつきあいは、7年もの月日を共に彼だったが、それを聞いた日から、まったく信頼を持てなくなって、情の中で、泣きながら別れを切り出した。


そして、ちょうど発作の前後、私がうちあける悩みにも真摯に向き合ってくれて、穏やかで、たかぴーとも仲良くしてくれそうな今の旦那さんと出会う。


社会人になって、母の誘いで料理教室に通うことにした。
母は、わたしの花嫁修行、ということで結婚するまでわたしのお稽古代を負担してくれた。


母は私と弟が仕事につき、社会人にもなれてきた数ヶ月を待って、再婚し、やっと時間がもてた。


母は観光業についていて、あいにくコロナで打撃を受けたので、仕事に没頭することもなく、
かつてやりたくてもできなかった料理を実家に足繁く通い、弟に作っている。教えてもいる。


弟は、揚げ物について、
「おばあちゃんが、食べんと悲しい顔するから」という理由だったという。


それは本当の愛なの?ということはおいといて、
当時の彼らにとっては、小さな世界でお互いを思ってのことだった。


思い出せば、高校のお弁当、まわりが売店でパンを買ったりする中で、
おばあちゃんは3年間一日もかかさずお弁当をつくってくれた。


思い出のごはんは、
おばあちゃんの甘いオムライス、ハンバーグ、そぼろ丼。



弟は、最近は母の影響か、お肉よりお魚が好きだという。


書いてみたら、なんだかいろいろと
上手につくられたシナリオだなぁとも思う。


うちは、
みなさんがご実家に想いを馳せる時みたいな、理想の食卓とはちょっと違うかもしれません。


しかし、かつての私も弟も、祖母や母に愛されていなかったとは思いません。



違う形で愛情は受け取っていたのかもしれません。


結果として私は、食育の講演会に参加する、というレベルまでリテラシーはあがりつつあるけれど、


親ならなんでもっとちゃんとしてくれなかったの?と思っていた時もあります。


そして、壊れた体は簡単には戻りません。


だから身にしみてわかることもあります。



母として自分自身も食についての正しい知識を得たり、学んだことを継続できるモチベーションにもアンテナをはりたい。


かわいい子には旅をさせたい。


目の前の1m四方にあるそれだけが、当たり前だとか、全てだと思ってほしくない。


違和感なり、大切なものなり、愛情なりを彼女たち自身で感じて自分なりの軸にしていってもらえたらと思います。