3姉妹子育てとホテルウーマン、ときどき畑

7.4.2才の3姉妹との日々とホテルウーマン、自然農の家庭菜園など♪

読書記録『あなたが生まれた日』


『親は、嬉しそうに笑いながら、
涙を流しながら、18年前のことを
まるで昨日のことかのように語るのだ
聞いてもいないことを次々と語るのだ
それは、喜びの証なのだ。』 
       


表紙に書かれたこの文章を目にした瞬間涙があふれる。


この本の中身にはどんな思いが詰まっているのだろう…。


私は、娘たちが生まれた時のことが一瞬にして蘇り、その場で思いを馳せた。


しかし内容は、
「私」が生まれた日を母にきくというものだった。


私は母にその日のことを聞いたことがなかった。


そして母の青春時代も、恋の話もしらない。


育児のいろんなことで、
わたしの時はどうだった?
ときいてみると、
いつも、決まって


「う〜ん、覚えてな〜い」

という。


たまたまわたしが切迫早産になり、
その際に、
「こどもはなるべく十月十日おなかにいれとかないといけない!」
「切迫早産なのに、たとえ後部座席でも、車に乗るなんて!」
と普段より厳しめの口調に、違和感を覚えてきいてみたら、
母も切迫早産だったとのことで、
なるほどね。
と、そのくらいしか知らない。


私は次に会った時にきいてみることにした。


LINEや電話だと、
声しかわからないし、電波が途切れたりするかもしれないし、バタバタしてる時かもしれない。


きちんと顔を見ながら聞いてみたいから、
会った時にしよう、と思った。


そして今日、平坦な道路を運転中に、
今聞いてみよう、とふと思い出したので、聞いてみた。


「ねー、わたしが生まれた日ってどんな日だった?」


「晴れとか、雨とか、どんな空だったのかとかっていうこと?」


「うん、それでもいいし、ほかにどんな一日だったとか、何がおこったとか、何でもいい。」


母は、少し考えて、


「う〜ん、全然おぼえてな〜い」

と言った。



正直、やっぱり、でも、もしかしたらと思った自分もいたのだ。


「どんな気持ちだったとか」


母はまた少し考えてくれた


「ん〜、やっぱり覚えてない」


ミラー越しに見た運転席の母は、
少し申し訳ない、という表情に見えた気もしたが、
60に近いとは思えない、いつもの少女みたいな顔でほほえんだ。


…。


それならしょうがないと思い、
こちらから根掘り葉掘り聞いてみた。


すぐ生まれた?とか痛かった?とか。


「ん〜痛くなかった気がする。」

「わたし、おりこうだったってことだね」
 といったら

「うん、おりこうさんだった」

といってもらえた。


母になり、おりこうさん、という側になったわたしは、
おりこうさん、と母に言われて、
なんだか娘にもどったような、ほやっとした気持ちになった。 (娘なのだが)



今、忘れまいとして、
いびきをがーがーとかいている母の横でこれを書いている。


そして実は私もいびきもちなのだ。


親子なのだ。


でもわたしの両隣で、すーすー寝ている娘たちにはいびきもちにならないようにと願う。


親子3代で久々に眠った夜。


『親は、嬉しそうに笑いながら、
涙を流しながら…』


ちょっと違う展開になってしまったが、
なんでこれを聞いたか、最近の友達や剛史先生との出会いやこちらの本のことなど、経緯を母に説明した。


そして、覚えてない♪といった母に、
「お母さんらしくていいよ♪
それもあり、あり。
いっぱいいっぱいで覚えてないのかもしれない。
私がそうだから。
こんなにかわいくて愛おしいのに、だんだん忘れてしまう、小さかった時のこと。」

などと、
気にしてるか、していないかわからない母に、一応フォローした。


そして、
「だから日記をかきはじめたんだ。」
と伝えた。


「母は、いいね、とってもいいよ。みーちゃんたちも、喜ぶね。」


といってくれた。


また落ちついて、思い出す限りの素直な、

『あなたが生まれた日』

を娘たちにつづってみよう。



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『あなたが生まれた日/
   佐藤剛史さん
   内田美智子さん
九州大学佐藤ゼミの皆さん』